縁起が良いからと日取りは大安の日にきまった。
あたしは、まだおめでとうなんていう気はない。
言えるほど器用でもなければ、あの場にいて笑える勇気なんてさらさらなかった。

沖田家のしきたりと言っても、彼の両親も姉もすでに他界していたので 堅苦しい式ではないらしい。それでも真撰組一番隊長の彼の周りに集まる お客様は格下の隊士ばかりでなく、幕府の高官なども来る。 誇りをもってのぞまなければならないものだそうだ。 相手の女性は、それこそ城下でもお金持ちで有名な武家のひと。 上品なひとで総悟と二人で出かけているところを何度か街で見た。 その時思った。ああ、このふたりはけっこんするんだろうなあ、って。 二十代後半ともなれば、嫁をとるのはこの世界では常識で、むしろ総悟は遅い方だと言われるくらいだ。 何度か、近藤さんと土方さんが総悟の縁談の話をしていたことをあたしは知ってる。 それは、あたしの興味の範疇内であり、あたしにとって最も重要な事柄だったから。

「おい、ーおーいおーいお」
「なに聞こえてるから!」

障子を開くと、そこには準備をしきった羽織袴姿の総悟。 背にも前にも沖田の家紋。金の刺繍で、てらてらとあやしく光る。

「聞こえてんならさっさと返事しなせェ」

朝っぱらから不機嫌そうにぼやく彼を見ると、とてもじゃないけれど これから結婚する男性とは思えない。

「総悟、起きてから髪梳いた?」
「あ?…んなもん今まで生きてた中で一回もしたことねェや」
「せっかくの式にそれはないでしょう、はいそこ座って」

彼に口応えを出来るのは女中の中ではあたしくらいだと思う。 それは総悟とあたしが幼馴染でずっと仲良く今まで一緒に育ってきたからだ。 一番近くで総悟を見つめ、一番近くで彼のお世話をしてきた。 時には兄のように弟のように友達のように、恋人のように、慕ってきた。

「…あっという間、だったね。」

木製の櫛がさらさらと、総悟の髪を梳かす。 もうこの髪の毛一本もすべて、あのひとのものになっちゃうんだと思うと 見ていられなくて、世界も歪んで見えてきそうで酷く怖い。 総悟はあたしの声が聞こえなかったのか、軽く小首をかしげて後ろを向いた。

「なんでェ、お前寂しいのかィ」
「そんなんじゃあ、」

無い、と云えなくて。否定もすべて涙によってかき消された。

「泣き虫。」
「っるさい、(嗚呼あたしって、こんなに総悟のことすきだったんだ)」

もう、総悟の髪の毛ひとつ、触ることができなくて。 震える肢体を抑えることに精一杯で口から零れ出る嗚咽がとまんない。 すきで、すきで、いとしくて、ぐちゃぐちゃだよそうご。

は昔っから寂しがりやですからねィ。」

俺ァ知ってた、と言わんばかりにあたしの頭に手を置いた。この人のこんなところは、やさしいあかしだと思う。

「もしお前に好きだって言われてたら、好きになってたかもしれねェ」

ふっと笑って「あたしを?」と聞くと、総悟も同じようにふっと笑って「を。」と言った。 額と額が重なって、総悟のいきと目線が近い。あたしの涙が、総悟のまつげに のっちゃうんじゃないかってくらい近くて、くらくらする。 呼吸が咽を通ってひゅうひゅうと煩い中ほんの数秒だけ目を閉じた。 期待していた展開にならないことだけは知っていた、だから何もかもから目をそらしたくて 世界は闇に落ちる。もしあなたが此処であたしにくちづけていたら、あたしもすきだって 叫んでたかもしれない。(でも、それはあってはならないこと)ぐっと堪えて、数秒置いて あたしは言葉を口にした。

「幸せに、すき、そうごだいすき。なって。ぜったいよ、」

総悟は「ああ」と短く返事をした。その声の響きは、今まで一度も聞いたことがないくらい 低くて甘くて優しいものだった。
睫毛の隙間から零れ落ちそうになる涙の粒を、すくいあげる神様はもう傍にいるはずもなくて そこにはただあたしの報われそうになった恋心だけがぽつんと一つ残された。




潰えた倖福と、
(でも本当に好きだから、云える筈なんてなかった)
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