「あちい、」

烏を思い出させるような黒い服がばさりと揺れる、総悟は整った眉を寄せて空を見上げた。 隣を歩く女はその様子を盗み見ては少し膨らんだ頬を紅く染める。その姿はどこからどう見ても 恋仲の二人だろう。沖田総悟と並んで歩けるだけでもそれは凄いことなのだ、目をひく彼の存在を巷で知らないものなどいないのだから。

「お弁当が腐りそうです、沖田隊長。」
「隊長はおよしなせェさん。折角のデートにそりゃねーや。」
「デートなんですかこれ。」
「飛脚デートよりはましでしょうよ。」
「あんなのデートって言うんでしょうか。」
「てーかこんな日に弁当なんざァアンタも間が悪ィ。」

総悟が太陽をひと睨みすればあっという間に涼しくなってしまうんじゃないかと思うくらいは彼に脅威を抱いていた。 それは憧れにも似ている恋という感情だろう。けれどは自分が総悟を好いていることを本人に知られたくは無いと心の底で 感じていたのだった。

「沖田さんがいい天気だから出かけようって誘ったくせに、」
「こんな日にゃ良いことが起こるんでねィ」
「良いことですか?」
「それよりさん、こんな蒸し暑い日だときっと夜も寝れねぇと思いやせんか」
「扇風機でも買いますか?」

不思議そうに目を丸めて総悟を見つめる彼女に、盛大な溜息が零れ落ちる。 もちろんそれは彼から発せられたもので、アンタは何も分かっちゃいねぇなと目が言っていた。 総悟は夜も寝れないから一緒にいてほしい、と考えていたのだ。そう彼はが自分を好いている ということなどお見通しの上で言葉を発したというのに伝わりもしない。まあ伝われという方が難しい のかもしれない、総悟自身も色恋にはそれほど器用ではないからだ。火遊びをしたことは幾度もあるが、 本気になったことは一度もない、そういう人生の歩み方をしてきた男だった。だからこそ 目の前にいるという女になんと言っていいか分からない時がある。どんな言葉を口にすれば 彼女が自分に笑いかけてくれるのかなんて、そんなこと今まで一度だって考えてきたことがなかったからだ。 一方は、総悟の透き通った赤みのある瞳を見ているどんどん彼が分からなくなっていた。何を考えているのか、 自分に何をしたいのか、こうして誘ってくれたのは自分の独りよがりではないと思っても良いのだろうか、と。

「そろそろ俺達、良い仲になっても不思議じゃないと思うんですがねェ…」
「…私は、女中です。」
「そりゃあそうです。さんが隊士だったら野郎どもは餓死するでしょうぜ」
「だから女郎ではありません。」

私が何を言いたいのか、分かりますか沖田さん。そう、は総悟を見返して言った。 要するに体だけのお付き合いはごめんだと表情から見て取れる。彼はやれやれと呆れ半分で 溜息をまた一つ吐く。今度はの肩を両手で掴み寄せる、それは突然に。

「そんなに安くみてねェです。悪いが俺ァあんたに本気だ」

の肩に触れるのは初めてだ。というか、彼女自体に触れるのが総悟は初めてだった。 思った以上に細い、と感じた。そして、自分が強く力を入れれば脆く折れてしまいそうだとも。 彼女の表情は驚いているようだったけれどもほんの少しだけ期待したような目線をしていたから それなりに覚悟はしていたようだ。別に総悟はそれが気に障らず、むしろそうしてもらっていた方が こちらとしては落ち着いて云えると思った。

「俺に守らせてもらえやせんかね、さん。あんたを、」

その言葉は愛しているという響きに、酷く似ていた。総悟にとってを守れる自信が確実に持てる今だからこそ言える言葉に違いないのだ。 ずうっと前から待ち望んでいたこの瞬間をきっと彼女も受け入れてくれると信じて。





此の戀に名はなゐ

(弁当を腐らす覚悟を決めたのか、は躊躇いなく総悟の胸に飛び込んだ) inserted by FC2 system