その日は晴れ間が広がっていた。ペンキの青を雑に塗りたくったような色の空に、 白いクレヨンでまばらに書き込まれた雲。私は朝学校に行く時目を細めてそれを見上げ、 帰り道の日暮れにはもっと涼しいのだろうと考えた。けど、今日は運悪く部活のミーティングがあって 帰る時には日暮れなんて程遠いくらいの夜の世界に周りは塗り固められたいた。 夏の熱帯夜のように日で焼けたアスファルトが匂う。鼻をすんと鳴らすと愛用自転車が動き出す音が 掻き消されようとしている。チャリ置き場から乗らずに歩いて出たのは、その時何を思ったのか 見上げた夜空に目を奪われたからだ。きれい。

「月?」

今度は私とは違う鼻をすんと鳴らす声、低音で優しいその音は思わず呟いてしまった私の声と被った。 見遣るとそこには隣クラスの沖田総悟。運動神経抜群で剣道部と風紀委員所属、多少自由奔放で女の子はとっかえひっかえの噂がある。 でもそんなところには目を瞑っても良いほどのいけてる男。そして私は今日のラッキーガールかもしれない。 そんなこんなで意中の人と一緒に居られるのだ、もしかしたら神様がめぐり合わせてくれたのかもなんちゃって。 浮ついた心はどうやら顔に出ていたらしく、沖田くんはこちらを見て怪訝そうな顔をした。

「邪魔。」

言葉は吐き捨てた、と言っても良いほど冷淡で驚く。沖田くんてこんな人だったのか。 いや、こんな人だったも何もあまり良く沖田くんのことを理解していないのは私の方だったらしい。 二年の時に同じクラスだったけれども、あまり話した記憶が無い。まあ私も、顔が好みで惚れた部類だから 他の女子と変わらないだろう。ふむと唸るとごめんね、と極力笑顔でチャリを退かす。 歩きだした沖田くんの後ろを自転車を押して私も歩き出す。何やら帰り道が一緒のよう。今まで沖田くんの 後姿なんてまじまじと見たことなかったから一生分見ておくつもりでその背を睨む。 するとそんな私の熱視線に気づいたのか気づかなかったのかは分からないが、彼の髪がさらり揺れてくるっとこちらに振り返った。

「ストーカーですかィ?」
「え、ち、がっ!私も家こっちなの」
「ふーん、ならいいや。」

綺麗なお顔から滲み出る不機嫌オーラ。すると何故かこちらへとどんどんどんどん近づいてくる沖田くん。 なんか怖い、威圧感があるのは気のせいだろうか。流れ落ちる汗は暑いからだ、そう言い聞かせてそのガラス 玉のような瞳をじっと見返した。がしゃん!突然後部座席に乗せられた沖田くんのかばん。何事かと目を丸めて彼を見ると 私の後部座席に座っている。え…何やってんのこのひと。

「走れメロス」
「ええええ、ちょ待ってー!これ私がこぐの!?」
「当たり前だろィ駅前までお願いしまさ」
「正直に言います、絶対いや!」
「…さて、タイヤにでも穴開けやすかねェ。」
「ぎゃあ、やめて!その安ピン引っ込めて!分かったこぐからこぐからァァ」
「こがせて下さいって言え。」
「何で私がそんな…だから安ピンしまえ!分かったから言うからあああ!…こがせて、ください。」
がそこまで言うなら仕方ありやせんねィ、ちなみに十数えるうちに駅前に着いてくだせェ」
「むりむりむりいいい!どう頑張ったって五分はかかるよ!」
「鈍かったら後ろから安ピンで背中でも刺しまさァ」
「だから安ピンしまえェェェ」

半ば叫び声をあげつつ歩道を猛スピードでこぐ、沖田くんは男の子だし決して軽いわけではなかったが 重いと感じるほどの負担でも無い。こんなに彼と話すのは初めてかもしれないとふと思う。チャリジャックされているにも 関わらず何故か笑みが込み上げた。どうしよう、この人と居ることがこんなに楽しいなんて思わなかった。 沖田くんは私の想像以上に素敵なひとだ。顔だけが好みで惚れた自分がまるで勿体ないことをしたように感じてしまう、 こんなにも面白い人だったのか、ちょうどえすだけど。

いちーにーさんーと数を数え始めた沖田くんは予想以上の速さで十をすべて言い切った。 なんということだ、安全ピンの安全ではない非常に危険な攻撃を背中に受けるかもしれないと思った時 ふと沖田くんが思いついたような声をだした。

。」

うっかり私はペダルを踏む足を外しそうになった。そういえばさっきも彼は私の名前を呼んだ。 どうして知っているのだろう、まさか沖田くんも私を…否多分それは確率的にありえないだろう。 沖田くんは全校中にも名前が知れ渡っている有名人だけど私なんか彼に比べたら平凡で何も無い女子高生なのだから。 となるとやはり二年の時に同じクラスだったから単に名前を覚えていただけなのだろうか、きっとそうに違いない。

「真ん丸お月様ですぜ、」

いつの間にか、背に温かみを感じて顔だけそちらに向ける。沖田くんのクリーム色の髪の毛が見えた。 奥歯を噛むとサドルを強く握って前を見る、触れ合っている部分に熱が集中する。変だ、おかしいよ、心臓が 今にも口から出てしまいそうだ。

「昔、車ん中で月を見た時にずうっと後を追いかけてくるもんだから俺のストーカーだと勘違いしたことがありまさァ。 まるでさっきのアンタみてェに。」

私はいつの間にストーカーになったんだろう、と思いつつ沖田くんの言葉を静かに聞いた。 そういえば私も子どもの頃、どうしてお月様はついてくるんだろうと考えたことがあったなあ。 懐かしい温かみのある思い出だ。ふふと背中越しの彼には分からないように笑む、きっとこの感覚も 沖田くんとこうして帰らなければ気づかなかった。

「月が綺麗ですねィ。」

どきり、とした。沖田くんの声は高い空に透き通るような響きをし、私の脳を予想外に揺さぶった。 かつて偉人夏目漱石は月が綺麗だと相手に伝えるだけでそれは愛しているという意味になるのだと浪漫を語った。 それを知った時、私は不覚にも泣いてしまいそうになった。なんて素敵な響きだろう、その一言を伝えるだけで すべてが伝わる日本人の歴史とその感性の奥ゆかさに感動さえする。沖田くんがその言葉を言ったのには 何の意味も含まれていないのだろう、そんなことは分かっている。けど、私はすごくすごくしあわせで 胸が切ないような気持ちで満たされている。夏目漱石さん、これが誰かを愛しいと思う感覚なんでしょうか。

「オイ聞いてやすかィ、後輪うんこ踏んでますぜ。」
「ぎゃあああ」

ちょ、人が妄想空想に浸っているときに…うんことか言う人なんだね、沖田くん。あ、でもほらまた知れたや彼のこと。 しかし私があんまり急にスピードを上げたものだから、うわと後ろで慌てたように上体を揺らして沖田くんが声をだした。 それがあまりにも可笑しく感じて笑ったら、彼も一緒に声をあげて笑った。ばかみたいに二人で笑った。 着かなくてもいいと感じた駅前はすぐそこになり、「あーあロスタイムでさァ」 なんて十秒過ぎたことをまだ根に持っているらしい。だから無理だって言ったじゃん。

「はい、到着!」
「おう。ありがとな」

沖田くんはひょいっと身軽に座席から降りて、お礼を言った。 もし言わなかったら文句を垂れてやろうと思ってたのに鞄を下ろしつつすんなりと言うものだから何だかやる気を削がれた気分。

「そんじゃまた明日学校でな」
「あ、沖田くん」
「…あ?」
「えと、その」

どうしよう、何も考えずに沖田くんを引き止めてしまった。だけど彼は黙り込んだ私をじっと見つめて離さない。

「ああ、そういやァずっと前から俺はアンタのこと知ってましたぜ。」

「ストーカー?」 と冗談交じりに言って笑うと「ばか」と罵られた。今、沖田くんの瞳の中には真ん丸のお月様と私が映りこんでいる。彼が何を私に伝えたかったのかはよく分からないけれど、私の背を押すのには十分だった。 そして、次の瞬間私は言葉を出した。まるで食べ物をこぼすみたいに、ぽろっと。 混乱しつつもこもった気持ちごと沖田くんにぶつけたのだ。 きっと彼は気づいてない、でも何て返事がくるのかそれが怖くてたまらない。沖田くんが口を開くまでの時間が とても長く感じた。

そして彼はこの気持ちに否定でも拒絶でもない、「同意」をして今まで見たこともないような柔らかい表情で微笑み、応えてくれた。 月に優しく照らされる沖田くんは私の想像とはまるで別人だったけれどそれでいい。 私は、今日より過去の自分がいかに陳腐な愛を語っていたのか思い知ったよ。



「沖田くん、月が綺麗だね。」
「そうだねィ、。」





Flow up the moon
thanks title;blue crescent

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