あか あお きいろ きれいなさかな


朝霧の靄も晴れ、微かに差し込む日の光に目を細め小さな溜息をついて天井を見上げていた。 いつもなら微塵も罪悪感がないのだが、と新八はぼんやりと考えた。 いつもより、そう、気持ち悪くて嫌な感じが全身で俺を取り巻いていた。

「やっちまった」

何がやっちまったって、いろんな意味を含めてやっちまった。 俺はたぶん、やってはいけないぎりぎりの一線を越えてしまったに違いない。 目を逸らしたい現実から脳を必死に働かせて左隣を見た。

透き通るような女の肩が布団から覗いている。

「…節操無しかヨ、俺」

昨日は相当酔っていた。男同士の宴会で酒を持ってきてくれる賄い方の中で ほんの少し気になっていた彼女と、まさか、こんな関係になるなんて。

「えっと…名前、…さんだっけ。おーい、起きて」

その肌に触れると忘れかけていた夜の出来事が鮮明に思い浮かんで消えた。 此処までくれば、決定的だと新八は改めて溜息をつく。ああ、なんて、面倒くさい。 「さんさん」という何度目かの声掛けで彼女は長い睫毛を揺らした。

「…あ、れ、」
「おはよう。あのサ、昨日のことなんだけど、」
「実はずっと好きだったんです」
「忘れて…え。…ええ?」

寝呆けてでもいるんだろうかとぎょっとしてさんを見ると、 彼女はどうやらしっかりと覚醒しているようで恥ずかしがる様子も、 隠す様子もなく、堂々と俺を見据えていた。気でも触れたか、と思ったけど どうやらそうではないらしい。

「大好きです。」

さんはほんの少しだけ笑みを零して襦袢を手に取った。 「優しくて、男らしくて、皆の憧れの永倉さん。」そう、夢見心地で彼女は話しつつ。 動作のふわふわした女の子だなあと、見てて感じ取れる。 最初に見た時通り、自分の好みではあったし、きっと相性も良かったんだと思う。 だけど、たぶん、それだけだ。俺にはそれだけ。

「そっか、ごめんネ」

やっぱり手だけは出すべきじゃなかった。それと同時に思ったことだった。 残酷かもしれない、でも、それが本当の俺だから。 人殺しを顔色一つ変えず、(むしろ、きっと愉しんでる)遣り遂げる俺だから。 心の中まで鬼になってしまったんだ。

「いいんです。」

まるで、花が咲いたように微笑んだ。というよりはにこにこ、笑顔を張り付けているのではないかと 思うほどの満面の笑み。疑心暗鬼で見てしまうのは、悪い癖だな、と思う。 どうも、置き屋の女達ばかり抱いているとそういう風にしか見れなくなってしまう。 (中には本当に、俺に好意を寄せてくれる妓もいたけど)そういう想いに答えてはやれないから、 知った途端に通うのをやめたりもした。

「謝らないで下さい。ただ、私は嫉妬してただけだから、」
「嫉妬?」
「はい、あなたは通りすぎる度にいつも違う人の香りをさせているから」

それだけで、本当に、妬ましかった。と、目の前の女の子は肩をすくめた。 ほんの少し震えているように見えるのは気のせいだろうか。

「醜い女です。だから、あなたには釣り合わないことも分かっている。 それに昨晩は永倉さんが優しいだけじゃないんだって事も知ることができたから、」
「…それってどういう意味?」

怪訝に思って聞いた。彼女の言っている言葉は何一つ包み隠してなど居ない。 心を押し籠めて閉ざしてしまっているのは俺の方ではないかと思うくらいに、

「床じゃあ、激しいってこと知りませんでした」

思わず、あははと噴き出した。まさか自分が声をあげて笑うなんて、思ってもみなくて、 いや、もっと思ってもみなかったのは彼女の切り返し方。今度は茶目っ気のある声色で 「だからもうそれだけでいいんです」とくすくす笑っている。何とも不思議な子だ。 そうして、賄いのさんは散らばった衣をかき集めまるで一つ一つ昨日のことを消していくように身支度をし始めた。 ああ、そうだ、もうすぐ朝餉の時間だ。 きっと部屋から出たら、もう、赤の他人。 今日のことは忘れて、無かったことになって、それですれ違っても きっと俺は振り返らない。

さんはさっさと支度を済ませ、まるで何事も無かったのように平然とした表情へ 戻り立ち上がった。ほんの少しだけ、足元をふらつかせていたので支えてやると 乾いた声でこう言った「大丈夫。」

何が、大丈夫なんだろうか。 きっと痛むはずなのに、そこを無理に取り繕っている姿が先ほどの 物申していた時の彼女とは大いに違う。 俺が気づいていないとでも思っているのだろうか。

「君の名前は?」
「…です。」

どうして名前なんて聞いてしまったんだろう、言った後に後悔した。 変な期待をさせてしまうのではないかと彼女を見上げたが、 さんは対して気にした様子も無く緩やかな動作で障子に手をかけた。

「でも、うれしいな、」

逆光で分からなかったけれど、彼女は相も変わらず笑っていたんだろう。

「今日のあなたはきっと私の香りがする」


ひらひらおよぐ いろがみみたい
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