彼女が庭で歌っていた。あれは一体何の歌だったのだろう。 俺はいつものように門を出て、仕事へと向かったのだった。





散り刻、




「っくしゅ!」
「あれ、永倉さん風邪ですか?」
「あ、 ちゃん。…別に風邪じゃないと思うんだケド…」

鼻がむずむずして仕様がない。垂れてくる鼻水をずびーっと紙でかむと 女中の ちゃんが笑った。彼女はつい最近入ってきたばかりの賄い方で、俺より五つも年下。 なのに他のどの女の子よりも大人っぽく微笑う子だ。

「桜、ですかねェ」
「桜?」

もうほとんど桜は散ってしまって葉になっている。屯所に咲いている桜の木を俺は見遣って、 目線を ちゃんへと移した。

「散り時だなぁって」

一向に俺の方を見ず、彼女はただ桜の木を取り付かれたように魅入っている。なんだ、俺。 なんか桜に負けた気分だ。 ちゃんの横顔はいつもより一層大人っぽく感じる。そう思って いるとまた一つ、大きなくしゃみをした。風邪かもしんねェ。

「永倉さん、今日のお仕事は鴨川沿いでしたでしょう?」
「え?そうだけど…」

何で分かったノ?と言う言葉は問わなくても彼女には伝わっていた。 やっとこっちを見てくれた ちゃんはクスクスと笑っている。

「頭にたくさん、桜の花びらが乗ってるので。」

彼女の言葉に連動するように、ざぁっと風が吹き乱れると ちゃんが俺の髪に触れようとした。

「触らないで。」

俺は、狂っていたのかもしれない。彼女の異様に落ち着いた雰囲気と、自分の高ぶる 感情を抑えきれずに咄嗟に出た言葉だった。 ちゃんはただ驚いたような、それでもどこかで そういわれるような気がしていたような表情だった。

「俺に、触らないで。」

俺はそんなに綺麗なんてモンじゃねェから。例えるならそこら辺で踏まれてそうな雑草なんだ。 君は俺にとって綺麗な花だから、俺に触れしまえば何もかも奪って枯らしてしまうんじゃないかって怖いんだ。

「…散り時、ですかねぇ」

私の気持ちも。と呟いて、彼女は微笑った。 その笑顔が泣きそうだったのを、俺は見て見ぬ振りをした。




想いを馳せる

(♭20080414|私の中で一番優しい恋のおはなし 慧)
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