人から水分を奪ったらどうなるか考えたことがあるだろうか。 何処かの御伽話では、夫を失った女が悲しくて悲しくて泣き続け 石になったと伝わっているらしい。果たしてそれは事実なのか、 身を呈して出した答えは、否、だった。

「花は何がいいかな」

途中、立ち寄った花屋で傍らに居た彼女に告げると すっかり細ってしまった白い腕を伸ばして、は一つ、菊をとった。

「黄色い花がいい」
「なんで?」
「彼には明るい色が似合うと思うから、」
「…そうだネ」

優しく微笑む彼女に釣られて俺も、ゆるりと口角をあげる。 幸せだと錯覚しそうなほどの時間の緩やかさと流れに 今俺たちは自然と身を任せている状態だ。そう、つい先日 祝言をあげたばかりで浮足立ったその心を隠すのは 互いに難しいことを知っていた。 でも、きっと、あいつなら赦してくれるだろう。 それは単なるえごでしかないかも知れないが、こんな風に笑い合う俺たちをきっと、平助は赦して くれるだろう。

神無月の空は高く蒼く、澄んで晴れ渡っている。 もしあの夜がこんな光の差す日だったら、平助の亡骸も 冷えず、温かなままでいられたのかもしれない。

「新八?」
「…ん、なに」
「また、変なこと考えてるでしょ」

喉を転がして笑う彼女の笑い顔が鮮明である。 そういえば、の笑顔を久方ぶりに見た気がするのだ。 きっと気のせいであってそれは気のせいではない。 俺と彼女は、隣同士に並んで歩いていた故に側面の顔を 知らないでいたのだから。笑っていたとしても、これらは全て 偽のものでしか無かっただろう。あくまで推測の話ではあるが、

行き交う人の小路から少し離れたその場所は、今もひっそりと 静かに往来を見つめていた。

「また、来たよ」

俺の呟いた一言にがはっとしたように顔をあげた。 すぐさま、元通りいつもの彼女に戻ったけれどそれは 側面を歩き続けた耐えがたい苦しみと絶望が滲み出ていた。

「新しい時代が来ても、此処は変わらないね」
「そうずっとあの時のまま、」

最初は其れが辛かった。どうして此処は変わらないんだ、と憤りを感じるくらいに。 だけど逆に今は、ただ単純に愛おしい。倒れた、仲間の、身体は確かに此処晒されていたのだから。 その土をゆっくりと触れる俺を、彼女はただ無音で眺めている。

「決して平助が戻ってくるわけでは無いけど、いつも触れてしまうんだ」
「…新八、」

どことなく諦めたような、の声が俺の名を呼んだ。 平助が生きて居た頃はまだ「永倉さん」だった彼女の俺に対する気持ちも、 俺が彼女に対する気持ちも、少しずつ時間を追う毎に変化し、今も それは存在し続けている。

小路の脇に置いた一輪の菊が、風に揺れる。しゃがんで手を合わす彼女の後ろ姿を見つめる。 顔をあげて何処と無く遠くを見る目線の先に、平助が居るような、そんな気がした。

「藤堂さん、居るかなあ、」
「俺も今、同じこと考えてたヨ」
「居たら私たちになんて言うかな、」
「おめでとう以外は受け付けない」
「あはは、そっか。だってさ、藤堂さん」

まるで本当にいるかのように、会話する。 俺はただ、彼女にやわらかな視線を向けた。は身支度を整えると、いつものように頭を下げた。

「それじゃ、また後で」

毎年、平助の墓参りの後、俺達は一緒に帰らない。 それはなりの俺に対する気心でもあった。 空が暮れから、あの夜に引き戻す時間は俺と平助の二人の時間だと 黙って此処から立ち去るのだ。いつもなら、俺はそれを見守った。 彼女を独りで帰らせて、平助との時間をいつくしんだ。其処には、何も無いのに、だ。 初めて墓参りをした年は、が角を曲がって姿を消した瞬間、堰をきったように 涙は溢れた。大の大人が一人の旧友を失ったくらいで、情けないと思いつつも それを止めようがなかった。一生消えることの無く心に刻みつけて、俺は 生きていこうと決めたはず、なのに、年々悲しみは失うように出来ていたのだ。

、」

桶を持った彼女が水を零さぬように振り返る。 驚きと焦りの混じった、恐る恐るといった感じで、

「一緒に帰ろう、俺たちの家へ」

すると、どうだろう。彼女が、堰を切ったように涙を流した。 何年も連れ添ったはずなのにが泣いた訳が変わらず、 ただ焦燥する俺に対して彼女はこう云った「泣かないって決めていたのに、」 ---、そうか、君は、ずっと俺より強い子だった。 角を曲がっても泣かずにいたのは、俺が傍に居なかったからだろう。

、自惚れてもいいかな」

そう、彼女はきっと俺のことを好いている。 思えば、好きも、愛してるも、云ったことのない俺たちだけど 心は通わせているって。思っても、いいのかな。 薄れていた悲しみに、そっと、口付けを落とした時、菊の花が一輪 鮮やかに咲いて笑っているように見えた。







( aikoの桜の時を聞きながら執筆しました。タイトルは菊の花言葉より、 )
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