兎追いしかの山〜、どこからともなく聞こえてきた歌声に俺は顔を上げた。この声は、さんだ。 あの人はどこでもかしこでもよく歌う。さんが動いていると思われる屯所内では一日中彼女の 歌声が聞こえてくる。どこに居ても、だ。あの料理下手な彼女に似合わず、歌は本当に上手だと思う。 旋律はもちろんのこと、音程は取れており、あの不器用さには似つかわしいほどの綺麗な歌声を出す。 屯所に響くソレは今では日常となり、全く違和感なく溶け込んでしまっている。 そういえば、さんが此処に来てからもうすぐ2年が経つ。それは同時に彼女と沖田隊長との子どもが 2歳になるのを意味していた。 統悟は何かと屯所中を走っては、遊び、走っては、遊び、その繰り返しだ。 遊びとは道場に行っては土方さんとよく剣道をやっている。小さい手で木刀を振り回す姿は なんとも健気だと、隊士の間では評判が良い。だが、俺は知っている。あいつは正に沖田隊長のミニチュアだ。

「ザキー!」

うげっ、説明なんかしてる場合じゃなかった!今俺は、統悟にとっての標的というか…遊び相手というか、 むしろ遊ばれているといった方が適当な言葉かもしれない。要するにナメられている。 真撰組ソーセージを引っ掴んで廊下をダッシュした。くっそ、ガキのくせにこの山崎退に勝負挑もうってかァァァ

「にげんなこのやろー!」
「ちょ、一体何なんですかァァァ」

振り返ると以前とは違う速さのスピードで走る統悟の姿。大きくなったなァ、と少しだけ関心した。 でもまだまだ子どもで観察方の俺に適うはずも無くて、追うのを諦めた統悟は息切れをしてその場に座りこんだ。 あ、俺ちょっと大人げ無かったかな。でも毎回そうなのだ、わざと負けた振りをして速度を遅くすると 追いついてきた統悟は確実に俺を仕留めようとする。多分副長の入れ知恵だろう。あの人は剣のことになると トコトン教え込んで手は抜かない。少しずつそういった大人の言うことを理解してきた統悟にとって 彼の言うことは絶対だった。大人ばかりに囲まれてるのも、考えもんだ。
さて、蹲ったままの統悟から少しだけ鼻を啜る音が聞こえだした。 やっべ、俺泣かせちまったよ。なんか遠目からでも見えるように体育座りしちゃってるよアイツ。 統悟を泣かせたら、後が怖いのは目に見えている。―そう、沖田隊長だ。 あの人は自分の子どものことになると見境がない。かと言って甘やかして育てているわけでもない。 面倒くさいほど複雑な人なのだ。

「あー…ご、ごめん。統悟、大丈夫?」

俺が近寄って声をかけると、ふと顔を上げた統悟がニッコリ笑った。 (あ、なんか嫌な予感。)そう思った瞬間に統悟は思わぬ脚力で跳び、頭蓋骨を叩き割らん勢いで 俺の上から木刀を振り下ろした。

「ザキ、ちねェェェ!」
「ギャァァァァアァッ!!!」

彼の動きは予想以上に早く、隊長と同じものを感じる。(あぁ、やっぱ親子なんだな) だが、威力は少なくガツンッと当たっても何ともなかった。 もしこれが沖田隊長なら確実に俺は防げもせずに死んでただろうなァなんて。 まだまだ、負けるつもりはない。そう思って統悟を見ると、「チッ、しくったか。」なんてコイツ舌打ち しやがったァァァ

「ねぇ、さっき凄い音聞こえたけど…」

その時、ひょいっと台所から顔を出したのはさんだった。(もしかして、今日の夕飯さんが作ったんじゃ。) 最近少しうまくなったとはいえ、まだまださんの料理には不安が残る。やっぱ今日俺外食しよう。 そう心に決めてチラリと統悟を見た。

!」

既に彼女の元へと走って抱きついている。なんとも微笑ましい光景だ。

「こら、母上でしょう。」
「でも、そーご…」
「父上でしょ。」
「ちち…うえ、」
「そう。父上がどうかした?」
「そーご、って…!」
「私のことを総悟がって呼んでるからって、あなたがって呼んでいいのとは違うの。」
「やーぁ!っ」
「母上って呼びなさいィィィ」
「やだやだぁぁあ」

癇癪を起こした統悟はばしばしとさんを小さい手で叩くと木刀を庭へと放り投げ 走り去ってしまった。

「こらァァァア、統悟ォォォ!」

あ、さん怒っちゃったよ。地の果てまで追いかけそうな怖い顔しちゃってるよ。 そう思って彼女を見るとぱちりと目が合う。なんだかバツが悪そうなそんな顔をしてこっちに来た。

「変なとこ見せちゃって…。最近よく癇癪を起こすの、あの子。」
「反抗期って奴ですかね?」
「ん、そうみたい。この時期は何かと自我が芽生えてくる大切な年齢だから」
「大変ですねぇ」

俺が笑うと、そうだね。とさんが笑った。でもなんだか嬉しそうだ。

「総悟が、私のことをって呼ぶもんだからあの子も真似しちゃってね。 まぁ、私も総悟のことを総悟って呼ぶから…。子どもって本当に 親を見てるものだね。なるべく父上って呼ぶように気をつけないと。」
「それにしては、嬉しそうじゃないですか」
「うん、まぁ…反抗してくれて凄く嬉しいの。ちゃんと成長してるんだなぁって、思うから。」

子どもらしくって、本当に可愛い。と親馬鹿発言を連発するさんが、俺は正直可愛いと思ってしまった。(これがもし隊長にバレたら確実に殺されるけど)
さんが母親ならきっと良い子に育つと前に近藤さんが言っていたけれどその理由がなんとなる分かる。 この人は本当に子どもの目線に立って物事を見れている。

「追いかけなくていいんですか、さん」

俺は、笑った。彼女は目を丸めると「行ってくる!」そう言って泣いてるであろう統悟を追いかけて、

「あ、山崎さーん!今日のご飯、私が作ったんでちゃんと食べてくださいねっ」

走りながら振り返ったさんの笑顔に少しだけ表情が固まる。
いや、あの、俺、…それだけは勘弁したいんですけどォォォォォ





La chevaleresque
その晩、腹痛で寝込んでいた俺の耳に仲直りしたさんの歌声と 統悟の音程の取れていない歌声が地獄の子守唄に聞こえた
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